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もったいない話 明治生まれの祖母が残してくれたもの

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夏休みになると、母の実家に遊びに行っていた遠い遠い昔。

祖父は大きな窯焼きの工場を営んでいました。
そのため、祖母はお手伝いさんと二人、
住み込みの職人さんたちの食事の世話などで、
いつも休むことなく動いていました。

蒸し釜で炊いたご飯。大鍋で煮込まれた煮物。大量の漬物。
職人さんのお兄ちゃん達と一緒に食べるのも嬉しくて、
大勢で食卓を囲む楽しみを、教えてもらった原点です。

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そんな祖母が座っていたのは、洗濯物をたたむ時と、
縫い物をしている時だけだったと記憶してます。

その横で小さな私は、いろいろ見てきました。

繕い物は、器用な祖母のホッとできる大切な時間だったと思います。

綺麗な布が貼って作られた裁縫箱の中の赤い指ぬき。
紫色の綿入りの裁ちばさみ袋。黒い糸切り鋏、丁寧に巻かれた木綿糸。
無くなってもすぐ分かるように、決まった本数しか刺されてない
赤い鹿の子模様の針山。
整理された祖母の裁縫箱、今も鮮明に思い出されます。

その中には、色とりどりの短かい糸で縫われた、
作りかけの雑巾が一枚ありました。

それは、その都度、短くなって残った糸を
最後まで使う為だと教えられました。

今の私。ミシンで縫うと、最後の糸処理で、結構捨ててる糸。
失敗して解いて、また捨てる糸。
もったいないなぁーとは思うのだけれど‥‥

以前母から祖母が縫った、手機で織った藍染の絣の着物を貰いました。
私なら何かにするでしょうと、期待されて。

早速解いてみましたが、一針、一針、細かく丁寧に縫ってあるので
引っ張ても抜けません。
一目ずつ鋏で切るなんて、気の遠くなる。

受け継いだ母も手放せず、祖母の記憶の残る私も手放せず。
もったいない物が増えていく。

明治生まれの祖母に学んだけれど、
まだまだもったいないを実行できてないし、伝えられてない。

物が無い時代は、いろいろと考えて再利用していました。
今も、手仕事の民芸になって残っています。
それは、これからも残さなければいけないと思っています。

祖母の苦笑いが見えるようです。

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こんな文章書いていたら、友人から電話がありました。
「そろそろ、身辺整理しているの。
  リサイクルショップに持って行ったら信じられない値段だったので
  可哀想で持って帰ってきたけど、着物いらない?すごくいいものよ。」
「いらない!でも、捨てたらダメよ!」

(ムラカミ)